このブログの作者のあとがき [しらせ乗船中]
ということで、南緯55度を通過し、南極圏を出て
私の南極行動は終了しました。
今年は例年と違いしらせ接岸不能という一大事に見舞われ、
思うように設営計画を完了させられなかったことは非常に残念なことでした。
ですが、私には収穫もあり、記憶に残るものとなりました。
あとがきとして作者のコメントを載せたいと思います。
このブログは
会社にトピックスとして提出するならブログのほうが簡単じゃないかな
という思いつきから始めたものでした。
日記の苦手な私ですが、
ブログならいつでもどこでもメールで更新できるので、
楽に写真を添付できるし、
思うことをそのまま文章にすることができます。
携帯電話があればできる便利なものです。
隊員室勤務時の電車の中ではよく打ちました。
それでも我ながらよく継続してできたと思っています。
簡単に映像化、文章化できることが分かってさらに
今回の貴重な体験を自分や家族、恩師、さらに興味を持ってくれる人々に綴り、残したいと思うようになりました。
会社のトピックスで使っていただくなら
見ていただいている何人かの方に南極の活動についてのなるべく多くの情報が届いてくれたらいいなという思いでした。
南極の活動について出来るだけ多くの情報を提供し
私の知らなかった知識を中心にブログ閲覧者の皆さんに公開していったつもりですが
おそらく
私が過去の情報を持って
現地で面くらったように
このような情報では足りなかったのではなかったか
と考えています。
実際の体験はもっと泥臭く、
現場は岩盤だらけ、写真で見るより明らかに傾斜はきつく
いかに日本の現場の敷地は平らで、地盤が軟らかいところなんだと感じます。
そして、氷点下の中、施工場所が氷や雪の中であったり、
風が吹けば、手袋をしていても手が、マスクしていても顔が冷たく痛いし、
全ての人が協力的というわけではなく、労働時間は長く、
壊れている道具など整理されていなかったり、重機もよく故障するし、…。
とにかく
この事業のために公表しにくいものもあり、
南極の現実はやはり伝えきれないのかな~と感じてきたわけです。
ということで
閲覧者の方々にはこの辺をふまえ、
できるだけ
このブログで公表しているものの裏側を想像しつつ楽しんでもらっていたら
うれしい限りです。
また
南極の活動の情報としては
残念なことに飛島建設のOBによる歴史について
触れることができなかったことは
悔しいところです。
やはりOBの活躍無くしては私はここにこれませんでしたから。
最後になって申し訳ないですが、
この場を借りて
今回、私が南極を経験できたことについて
ここにいたる過程として私を育ててくださった皆様に感謝したいと思います。
(実名は出せないので、雑多な言い方はご容赦ください)
現場監督の基本(測量も)を教えていただいた名古屋支店(当時)の方々
家族のような面倒を見ていただいた広島支店(当時)の方々
氷点下での施工方法について教えていただいた札幌支店(当時)の方々
トータルで面倒見ていただいている関東建築支店(当時)の方々
壮行会までして応援していただいたOBの方々
貴重な体験をさせていただいたことに部長、課長本当にありがとうございました。
そして
極地研究所の方々
第53次日本南極地域観測隊のみなさん
大変お世話になりました。
まだこのブログは
成田空港に着くまでは続けようと思っています。
それでは
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