定着氷縁に来ました。 [しらせ乗船中]
定着氷域を抜けます。
今までの氷の世界の先に
横に川のような海が現れました。
大利根水道といって
定着氷から流氷域に変わる位置にあるみずみちであるそうです。
毎日ラミングでがんばっていたしらせもあとひと踏ん張りとなりました。
ここ最近の定着氷域では
ほとんど見られなかったペンギンが
この大利根水道近辺に群れをなしていました。
今回の航行ではあまり近くで見られていなかったコウテイペンギンです。
大きいもので体長1mというから結構大きいはずなんですが
近くといっても間近ではないし、群れをなしていると
それほど大きさを感じられません。
これで
定着氷域から抜けます。
あとどれくらいで
海に出てしまうのか…
海に出ると
氷海航行よりも
揺れるらしい…。
海洋上の幸運。 [しらせ乗船中]
あっさり海に出てました。 [しらせ乗船中]
夜もしらせは航行しています。 [しらせ乗船中]
オーロラを待つために
夜中の艦橋に何度か通っています。
夜もしらせは日中と同様に運航し続けています。
艦橋は暗闇の中を注意深く監視し続けるので照明を落とし真っ暗にして
レーダーに出てくる氷山をよけながら舵をとります。
時差はここ4日間で
東京に比べ昭和基地は6時間遅れていたのですが
しらせが東へ進み始めて毎日1時間ずつ少ない日を過ごし、
しらせは今東京に比べ2時間の時差になるところまで来ております。
結果的にこの日も
私が起きている間は
雲が晴れず
薄い雲になる時に月明かりが見えるときもありましたが
オーロラは出てもらえませんでした。
実は私の寝た後の午前4時くらいには
天女が下りてくるかのようなオーロラが出ていたようですが…
今日は
オーロラの代わりに
薄曇りの中
月の周りに出た
ハロー現象の写真を載せます。
月を中心に大きな虹のような輪が現れました。
オーロラについて [しらせ乗船中]
南極と言ったらオーロラだと思っておりました。
飛島建設㈱は
南極事業に1994年、第36次観測隊から参加しております。
私は会社で南極に行けた人としては15人目となりました。
今回の南極行動に参加するに当たり、
OBの方々に壮行会をしていただきました。
その時に
OBの中でオーロラを実際この目で見たのか見ていないのか話題に出ていたのですが
つまりそれは
“見られない人”もいるのだ
ということだと感じていました。
それから
少しいやな予感はしていたのですが、
今の時点でオーロラを見られていない…。
もうすぐ、南極圏を出てしまいます。。。
観測隊は
おそらく越冬中にたくさんオーロラを見てきた52次越冬隊も
このタイミングでしかオーロラを見ることのできない53次夏隊も一緒に
やはりきれいなオーロラを見たいととても期待しています。
NICTという機関からオーロラ予報のメールが届きます。
太陽の動きが活発で太陽風速度が速いとかで地磁気活動は活発…
そういう情報から今日はオーロラ嵐になるなんて書かれている予報メールです。
ものすごく期待させたり期待させなかったりするのです。
ただ
オーロラを見る条件としては
①太陽活動などによる地磁気の状態
だけではなく
②この場所が雲のない良い天気
でないと観測できません。
ここ最近は
②の天気にずっと阻まれている感じです。
さらに
オーロラの写真を撮る条件としては
①、②のほか
③カメラなどの資機材の用意
と
④カメラの土台であるしらせの動揺が少ないこと
になるわけです。
③は理想を言えばきりがないので
最低レベルの用意はしてきましたが
④は波の状況とかの話です。
つまり、
夏隊の私にとっては
オーロラを見られる(撮れる)タイミングはこの帰りのしらせ上の数日間だけであり、
以上のような条件を満たさないと見ることができないという
狭き門なわけです。
前のブログに書いた
天女のようなオーロラを見た
と言った東京大学の大学院生のH君に
写真を貰いました。
(ブログ掲載の許可を得ました)
午前4時まで起きていたら
見ることのできた天女の写真です。
太陽のように光っているのは
月です。
月がこんなに明るいのに
オーロラがはっきり映るのは珍しいそうです。
午前2時の曇り空であきらめたことを
反省しつつ、
あと少しのチャンスに望みをかけます。
飛島建設㈱は
南極事業に1994年、第36次観測隊から参加しております。
私は会社で南極に行けた人としては15人目となりました。
今回の南極行動に参加するに当たり、
OBの方々に壮行会をしていただきました。
その時に
OBの中でオーロラを実際この目で見たのか見ていないのか話題に出ていたのですが
つまりそれは
“見られない人”もいるのだ
ということだと感じていました。
それから
少しいやな予感はしていたのですが、
今の時点でオーロラを見られていない…。
もうすぐ、南極圏を出てしまいます。。。
観測隊は
おそらく越冬中にたくさんオーロラを見てきた52次越冬隊も
このタイミングでしかオーロラを見ることのできない53次夏隊も一緒に
やはりきれいなオーロラを見たいととても期待しています。
NICTという機関からオーロラ予報のメールが届きます。
太陽の動きが活発で太陽風速度が速いとかで地磁気活動は活発…
そういう情報から今日はオーロラ嵐になるなんて書かれている予報メールです。
ものすごく期待させたり期待させなかったりするのです。
ただ
オーロラを見る条件としては
①太陽活動などによる地磁気の状態
だけではなく
②この場所が雲のない良い天気
でないと観測できません。
ここ最近は
②の天気にずっと阻まれている感じです。
さらに
オーロラの写真を撮る条件としては
①、②のほか
③カメラなどの資機材の用意
と
④カメラの土台であるしらせの動揺が少ないこと
になるわけです。
③は理想を言えばきりがないので
最低レベルの用意はしてきましたが
④は波の状況とかの話です。
つまり、
夏隊の私にとっては
オーロラを見られる(撮れる)タイミングはこの帰りのしらせ上の数日間だけであり、
以上のような条件を満たさないと見ることができないという
狭き門なわけです。
前のブログに書いた
天女のようなオーロラを見た
と言った東京大学の大学院生のH君に
写真を貰いました。
(ブログ掲載の許可を得ました)
午前4時まで起きていたら
見ることのできた天女の写真です。
太陽のように光っているのは
月です。
月がこんなに明るいのに
オーロラがはっきり映るのは珍しいそうです。
午前2時の曇り空であきらめたことを
反省しつつ、
あと少しのチャンスに望みをかけます。
天女が舞い降りてくるとまでではないオーロラ見ました。 [しらせ乗船中]
実は
もうオーロラはあきらめよう
と
思っていた夜でした。
同じ観測隊仲間に連れられ
夜中12時ころ
やはりまた艦橋に行ってみました。
天気図から言うと周囲低気圧だらけで
しらせは暴風圏に入って行くというところ。
期待できないところ(私だけ?)でした。
けれども
雲が切れていて
月がきれいに見えました。
この時点では
雲の切れ間に
オーロラはなく、
それでも期待しないでおこうと思いました。
その後
期待していない私と
期待している仲間たちは
2時ころもう一度艦橋に上がり
なんと
短時間でしたが
写真のようなオーロラ(またまた東大大学院のH君の撮影)を望むことができました。
今回のオーロラは実際の見た感じから言うと
写真のような強い緑は見てとれませんでした。
写真には少し緑が強く映るようです。
僕の印象は白い光の縦筋がゆらゆらとしている感じ。
若干緑がかっていたかな。
ここでは
ぜひ私の撮った写真を載せたかったのですが
期待していなかったせいで
カメラを用意して行かなかったことが
この結果になりました。。。
とりあえず
その後少し期待して
自分のカメラを用意して撮った写真を載せます。
…。
写真は残念でしたが
念願のオーロラを望むことができました。
これでまた
観測隊に参加させてもらったことに感謝したいと思います。。。
第53次夏隊南極行動終了。 [しらせ乗船中]
遂に
南緯55度を超え、
南極圏から出てしまいました。
海の上は穏やかです。
いろいろありましたが
しらせは予定の期日通り3/11に
南極圏を通過しました。
行きのように
55度通過で
記念写真は撮りませんでしたが、
南極圏からお別れのメッセージを
しらせの方から放送でいただきました。
また来年来るぞって。
通過後
艦橋へ行って
位置を示すテレビのようなものの写真撮りました。
それと
観測隊がしらせの動きを見るための
しらせ内のみネットにうつるGPS地図
も載せます。
いつもこんなのを見て
いまどのへんにいるのか確認してます。
あとは
フリーマントル入港で
オーストラリアの入国審査
(パスポートはオーストラリアを出てから100日以上行方不明だった感じです)
ほとんど息をつく暇もなく
パースの空港~
シンガポールを経由して
成田に3/19到着。
長い旅が終わりとなります。
あともう少し
で
夢の世界から
現実に戻ります。
体が戻れますかね~
と少し不安になってます。